Takuro Koga

9thコラム:たい焼きとヴァンナチュール

〜 Taiyaki and Vin Naturel 〜

2017年6月20日 更新
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国税庁の資料をみると、 日本の年間ワイン消費量は、(おそらく成人)1人あたり約3リットル程度らしい。 (ちなみにフランスは40リットルを超えている)

随分と少ないなぁ、と感じるが、 現在の約3リットルでさえ、過去最高の数字だ。

第何次ワインブームなのかわからないが、 そこらじゅうになんちゃらバルみたいなお店がどんどんできたおかげなのか、 旨安だか安旨だか知らないが、チリなどの低価格帯ワインの輸入も好調らしく、 今後もこの数字は緩やかに伸びると推測されている。 (ヴィネクスポ発表では2019年に約4リットルになるらしい)

これはワインを生業にしている僕らからしたら、もちろん喜ばしいことだ。 飲む人が、飲まれる量が、減るよりは増える方がずっといいに決まっている。

また、マーケットが大きくなっていくに連れて、 どんな分野においても、嗜好はより細分化されていくものだと思うが、相変わらず、クラシックな?ワインがお好きな方々が、 「あんなのワインじゃない」的な感じで、 ナチュラルワインを批判する意見やコメントが、SNSで流れてくる。

それを目にするたびに、同じ「ワイン好き」なのに、なんだかなぁ、と思ってしまう。

考えても見て欲しい。

日本で流通している全てのワインのうちの、 ナチュラルワインのシェアなんて、おそらく5%もない。 (ちょっとそういう統計は探せなかったので、あくまで自分の印象になってしまうが)

パリのワインショップ、パピーユのウェブサイトによれば、 フランスの全ワイン生産者のうち、ナチュラルワインを造っているのは3%程度だそうだ。

それを目の敵にして、叩いて、一体どうなるんでしょう? 一つの嗜好なんだから、いいじゃない。 たい焼きの頭と尻尾くらい、くれてやればいいじゃない。 薩摩だとか、長州だとか、いがみ合ってる場合ですか?

お店でドリンクを頼むときに、ワインを選ぶ人が増えたり、普通に食卓にワインが上がる回数が増えたり、そういうのが「ワイン好き」にとっては、微笑ましい事じゃないのだろうか。

それがナチュラルワインだろうが、クラシック?なワインだろうが、それは本人の好みだし、自由じゃないのか?

「あんなのワインじゃない」と言われても、 ほっといてくれよ、って感じだ。

あなたの好きな音楽があったとして、 それを「あんなの音楽じゃない」って言われたら、どんな気持ちがする?

どうして批判ばかりするんだろう、といつも思う。
黙って、お前はお前の好きな音楽を聴いてりゃいいんだよ、と。

クラッシックはよくて、ロックはダメですか? 能はよくて、歌舞伎はダメですか?

何がダメかなんて、マーケットが判断することじゃないですか? 本当にダメなら、勝手に淘汰されていくんじゃないですか?

ナチュラルワイン批判でコメント欄がびっしり埋まってる投稿が、 Facebookでシェアされて流れてくると、残念な人達だなぁと思う。 (ナチュラルワインに限らず、何かの嗜好を声高に否定している人全般だが)

「今までワインを美味しいと思ったことがなかった」
「ワインは苦手だった」
と話していた人が、
週に一度、ナチュラルワインを楽しそうに選びに来る現象を、どう説明する?
その人達の前で「こんなのワインじゃありませんよ」って言えますか?

僕自身は別にクラシック?なワインの批判はするつもりはない。
お店でもそういう接客をしたことは一度もない。

酵母添加しようが、亜硫酸がそこそこ入ってようが、美味しいと感じるものは沢山ある。
だが、もう絶対的に全く美味しくないワインだって山ほどある。
それは「美味しくないワイン」を憎むべきことで、造りがクラシックかナチュラルか、亜硫酸が多いか少ないかの話ではない。

ちなみに、こないだ昼飲みをプッシュしてる飲食店に入って、
「自然派」と書いてあったワインを頼んで飲んでみたら、 飲んでる最中ですでに頭が痛くなった(笑) なにが自然派なのかわからないが、 これはたまたま憎むべき「美味しくないワイン」だっただけだ。

ナチュラルワインがお好きな方は、
どうか、クラシック?なワインを批判するような人にはなって欲しくない。
批判は、新たな批判を招くだけだ。
もう、そういうの、終わりにしないか。




2017年6月20日
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Takuro Koga Takuro Koga

‘09年5月、東京・幡ヶ谷でヴァンナチュールと日本ワインを軸にしたワインバーKinasseをOPEN。 ‘16年3月、地元熊本へ戻り、現在はワインショップQuruto店主。ブドウ栽培・醸造、共に見習い。