Shinsuke Yonezawa

4thコラム:ラジオのように。 〜 野生の思考

comme à la radio. 〜La Pensée sauvage

2017年5月31日 更新
最近久しぶりにラジオを聴いている。

ゆる〜く流している中で自分の井戸端には乗っからない、思いもよらないいい曲に遭遇する楽しみがある。

ずいぶん長〜〜い間、ラジオを聞かない生活をしてきた。

どっぷりだった時代もある。

はじまりは、小学校高学年。
蒲団の中で寝たふりしてイヤホンでこっそり聴くオールナイトニッポン(早々夜魔神に見初められた夜ふかし生活のスタートでもあります)。

そこからまもなく短波放送(懐かしのBCL大ブーム)にハマり世界のラジオを聴くようになったのです。
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SONYのスカイセンサー5900。これで各国のラジオを聴きまくった。2つのダイヤルでかなり精度高く周波数を合わせられるのが当時画期的だった。
ドイチェヴェレ、BBC、モスクワ放送、ヴォイスオブアメリカ、陽気な南アフリカやオーストラリア、フィリピンのラジオベリタス、自由中国の声(亡くなったばかりで故毛沢東首席を讃えるばかりの番組)、韓国のKBS、平壌放送(今もだけど韓国と比べるとびっくりするほど堅いイントネーションの重苦しさ)などなど、子供心に世界の空気を楽しみながら感じた。

中学も学年を進むとFMにシフトしていくのだが、ラジオ一台で世界と繋がるあのキラキラワクワクは、「世界」と関わりを持ち始めて十数年の子供には刺激に満ち溢れていた。

そこからだんだんと「情報」は本と音源を直接購入、となる。

短波ラジオの経験下地は、その後のホルガーシューカイのペルシアンラブを筆頭に短波で捉えたエキゾチックな民族音楽をベースに楽曲化してしまう手法や、ピーターガブリエルが尽力したWOMADフェスからのワールドミュージックの紹介にはまる前に、廉価だったのも手伝ってノンサッチの民族音楽シリーズ、エクスプローラーの中古レコードを掘ることに繋がってゆくのでした。

そうしていくうちに本などで事前情報(評価)を調べてレコードなどの音源を手に入れて聴くという、より自分の嗜好性に合った世界をズンズン掘り下げていくことになるのです。

これは飲食店選びやワイン選びも同じで、ひと昔前は雑誌で知った情報(評価)であの店に行ってみよう、となる。

インターネットの発達した今はなんでも即座にWEBで調べられる。
それを続けていくといつのまにか冒険をしなくなる。みんな失敗は嫌だし。

でもそれは、気がつけば去勢されているような状態かもしれない。

ぼくもそうだったが20世紀末、絶大なる影響力を持ってしまったアメリカ人ワイン評論家による味覚の世界総R.パーカー舌化。
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まだまだパーカーにどっぷりだったホテルソムリエ時代、アメリカから直接ニュースレターのワインアドヴォケイトや書籍を購入していた。これは本人の直筆サインが添えられて送られてきたbuyers guideの第四版の扉。当時は恐悦至極のお宝(笑)
彼の影響で世界中が大きく変化した。ボルドーのカリフォルニア化、ブルゴーニュのコテコテ黒ピノ化、イタリアの地葡萄捨て去りタスカンに、カリフォルニアの化け物のようなこってりポートワイン化。脂っこいシャルドネ。新樽万歳。

世界にもの凄い影響力を与えることになった評論システムを構築した彼に罪はない(元々値段に見合わない不当に高く評価されてる伝統にアグラ的生産者を批判し、お値打ちで知られていない高品質な造り手ものを評価し消費者に伝える活動が、本人が有名になり過ぎて本末転倒に)が、彼が高得点をつけると値段がつり上がる現実は飲み手だけではなく、生産者も狂わせた。

しかし、甘くて濃いワインが大好きな味覚はやはりアメリカ人のそれ。ヨーロッパや日本人の味覚とは違う。

ぼくたちは「アメリカ人の味蕾で評価された」「欧州産のワイン」を「日本人の舌」で飲んでよっしゃよっしゃ!と悦に入ってたのだ。

バラバラである。

味覚はグローバルなものではない。(超ハイエンド洗練を除く)

21世紀に入ると、世界を席捲したこのコテコテのアメリカ人の蹂躙から世界の各有名産地は落ち着きを徐々に取り戻していった。

ブルゴーニュはグラスに入れた液体の向こうが昔のように透けて見えるし、ボルドーは上手く折衷し、イタリアは固有種の復権、カリフォルニアでさえなんとも涼しげになってきた。そして各地での薄旨ワインの台頭。ナチュラリズム。

そろそろ我々日本人も自分の舌を信じていい時代がやってきたと思う。

和食が世界中でもてはやされる時代。

元々国比較味覚指数はダントツに高いのだから、自信を持とうぜ。

繊細な味が世界で一番よくわかるのは我々だよ。

自分の感覚を大切に。

店選びも食べログのレーティングばっかり見て手軽に「手堅く」満足しないで、たまには街を彷徨い自分の勘を働かせて、ここ良さげだなと思うところに入ってみよう。

前知識なく店にふらり入ることをしなくなったぼくたちは、もうこの動物的な感覚というものがだいぶヤバく萎縮してると思うのだ。

たまには取り戻す時間を。

当たったときの喜びは格別だよ。
ハズレても笑い飛ばそう、未来の精度への賽銭だ。

ワイン選びもそう。

昔レコードをジャケ買いしたように、
ワインもジャケットで買ってみる。
若い頃レコードのジャケ買いは数々失敗したが、ワインは意外と失敗しない。
そりゃそうだ。


ラジオの海

街の路地裏

ワイン砂丘


偶然の巡り会いの楽しみのために

書を捨て、街に出ようではないか。

無難を捨て野生を取り戻そう!
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1969年のリリースとは思えないブリジット フォンテーヌのこのアルバム「comme a la radio」。
セーヌ左岸派の知性を包み込んだ前衛が、ピエール バルーの主宰するレーベル、サラヴァ(昨年レーベル設立50周年、とした年末にピエールは天国に召され。。)に移籍することでパリ時代のインテリ野生なアートアンサンブル オブ シカゴと出逢い、蜜月ここに結実。

音数の少ない研ぎ澄まされたストイックなテンション、古くならない音。

'80年代にジャケ買い成功。

幅広い世代の心を未だ射止め続けている名盤中の名盤。

二十歳前後のぼくたちのまわりはみごとにこの冒頭の一曲でやられたのだ。
http://youtu.be/3WfVir1_Edc

撮影のためにレコードを探したが、ない。中にたしか'88年にまさかの来日時の大阪公演のフライヤーが入ってたのを数年前に確認したのだが。
お宝を店で無防備に置いているのが原因か、はたまたDJイベント時の移動で紛失か⁈ 今手元に持ってるヤツがいたらそいつに幸アレ。大事にしろよ。というか、レコードは手に入るが、フライヤーは手に入らないぜ。想い出というものが染み付いたレコードも。

レコードで持ってるものに関してはCDに買い直さない主義のぼくとしては非常に稀なことだが、これはCDもあるので音は聴けるのだけれど。

キンキンくるブリジットとアレスキのこのアルバムを聴きながらフランスのアルザス、ジェラール シュレールの 2015年を合わせよう。
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リースリング ビルステゥックレ。
このアルバムのテンションに対抗出来うるしっかりとした奥底を持ちながらも華やいだ優しい雰囲気も合わせ持っている。

今回輸入元は少しだけのリリース。パワーを秘めたヴィンテッジなのでポテンシャルが存分に発揮されるまでもう少し寝かせてリリースされるらしい。

10年後に再び。
今度はレコード音源の、アナログで溝を擦る音のダイナミズムと合わせたい。

その頃には出てくるか⁈
想い出のレコード。。

シュレールもフォンテーヌも作品は多数あるのだが、自分に合ったコンディションのものをみつけるのは「野生の勘」が必要なアーチスト達。だが、当たると爆発する。

何度も言うが、借りてきた物差しではなく自分の思考と勘で当たったときの喜びは計り知れない。

鈍くなった感覚を取り戻し、野生に帰ろう。



あれ⁈
また今回も長くなってしまった。
最後までお読みいただきありがとうございます。





2017年3月29日
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Shinsuke Yonezawa Shinsuke Yonezawa

尼崎、塚口にある尼崎最古のワインバー・ナジャのオーナー/シェフ/ソムリエ/DJ。

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