Takuro Koga

26th コラム:親鸞と、ワインの未来と

Shinran, and the future of wine..

2020年6月29日 更新
 (23954)

最初に断っておくが、僕自身は無宗教だ。

クリスマスにはチキンにケーキを食べてパーティーを楽しむし、
お正月には神社へ参拝して、
その日だけお賽銭を入れ、都合よくお願いごとなんかしてしまう。

おおよそ、一般の人と同じように、宗教に関する知識はほとんどない。
ないのを前提にこのコラムを書いているので、そのあたりはご容赦願いたい。


親鸞という人がいる。浄土真宗を開いた人だと認識している。

伝記を読んだわけでもないので、詳しい事は知らないのだけれど、
とにかくこの人のすごいところは、
「南無阿弥陀仏って唱えるだけで、誰でも極楽浄土へ行ける」
と、言い切った事だ。

ものすごくわかりやすい。

あれをやらないとダメだ、これをしないとダメだ、が一切ない。

それもあって、ブワーッと一気に広まったのだと思う。


ワインも、言い過ぎかも知れないけど、
一般の人に対してはこれくらいの感じでいいんじゃないか?
と最近思っている。

少し極端かも知れないが、
まずは温度管理だけしてもらえれば、それでいいかな、と。

「温度だけ気にしてもらえれば、誰でも簡単に楽しめますよ」と。

それくらいの感じでいかないと、
(少なくとも地方都市では)これ以上広まらないと思っている。

高尚な飲み物、難しい飲み物だと思われたら、飲み手が減るだけだ。

格付けだの土壌だのは、プロが理解していればいいんじゃないのか?

ただでさえ、これから日本は30年くらい掛けて人口が減っていく。

なのに、ワイナリーはどんどん増えている。

いったい、誰がどうやって飲み支えるんだろうな?


少し前にTSUTAYA書店のことがTwitterで話題になっていた。
隣にスタバがあって、購入前の本が、
コーヒー飲みながら自由に飲めますよ、的なあれだ。

元スタッフだった方の視点が語られていたのだが、
TSUTAYA書店は「本そのものを売る」と言うよりは、
「本がある生活を提案していた」という結論だったように思う。

それくらいやらないと、本を手に取る人、減っていくでしょうね、と。

もちろん、本の虫で、本が好きで好きでたまらない人からしたら、
「そんな軽薄な感じ許せない!」かも知れないけれど、
少なくとも、マーケットの底上げにはなっているような気がする。

Qurutoも、どちらかと言えば、
「ワインそのものを売る」のではなく、
「ワインがある食卓の楽しさ」を提案していきたい。

どの業界も、知識が豊富な人間が、
知識がまだ少ない人間にマウントを取る。
あるいは「にわかファンが」とバカにする。

そういうのに辟易して、プレーヤーがどんどん減っていく。


多くのワインの造り手は、
食事中に楽しく自分のワインを飲んでくれるのをきっと望んでいる。

だとしたら、ワインを難しくしているのは、一体誰なんだろうか?



Takuro Koga
2020年6月29日
2 件

このワインをおすすめしている人

Takuro Koga Takuro Koga

‘09年5月、東京・幡ヶ谷でヴァンナチュールと日本ワインを軸にしたワインバーKinasseをOPEN。 ‘16年3月、地元熊本へ戻り、現在はワインショップQuruto店主。ブドウ栽培・醸造、共に見習い。